1913

共同創設者のニールス・ヴィース・ヴィツゥ(Niels Wiese Vitsø)が2月13日にデンマークのオーフスで生まれる。ここから必然的に、13がヴィツゥのラッキーナンバーになる。

1931

共同創設者のオットー・ツァップが8月10日にチェコスロバキアのロスバッハで生まれる。

1932

インダストリアルデザイナーのディーター・ラムスが5月20日にドイツのヴィースバーデンで生まれる。 腕の良い大工だった祖父から幼少期に大工仕事を学ぶ。

1947

ディーター・ラムスはドイツのヴィースバーデン美術工芸学校で建築とインテリアデザインを学ぶ。

1955

ディーター・ラムスはドイツの家電メーカーであるブラウン(Braun)社にインテリア建築士として入社。ブラウン社のインテリアをモダンにするための提案でスケッチ画を提出。その奥の壁面には直接レールを取り付けたウォールマウント式の収納システムの原型が既に描かれていた。

1957

オットー・ツァップがブラウン社を訪れ、自分の父親がやっている家具メーカーの家具をデザインしてくれないかとディーター・ラムスに依頼。

ラムスがブラウン社の役員であるエルヴィン・ブラウンに、他社の仕事を引き受けても良いか許可を求めたところ、「もちろんだとも!わが社のラジオの市場を広げる機会になるだろう」と直ぐに許可がでた。

ラムスは、フラットパックのモジュール型家庭用収納システム:571 Montage System(旧商品名:RZ 57)のデザインを開発。

ツァップは、ドイツのケルン家具見本市で、デンマーク製の家具を販売していたニールス・ヴィツゥと出会う。

1958

オットー・ツァップがニールス・ヴィツゥにラムスを紹介。

1959

ニールス・ヴィツゥとオットー・ツァップは、ディーター・ラムスの家具デザインを実現するため、9月4日に『ヴィツゥ+ツァップ(Vitsoe+Zapf)社』を創立。ドイツ人アーティストのギュンター・キーザーが、ニールス・ヴィツゥと椅子とが絡み合う様子を発売開始のポスターで表現した。

1960

606 ユニバーサル・シェルビング・システム(旧商品名:RZ60)がウォールマウント式の収納ソリューションとして発売される。

1961

ディーター・ラムスがブラウン社の製品デザイン部門のチーフに就任。

ヴィツゥの社長、マーク・アダムスが2月28日にイギリスのイプスウィッチで生まれる。

1962

620 チェア・プログラム(旧商品名:RZ 62)と621 テーブルが発表される。62-0と62-1の製品名は、ヴィツゥから1962年に出された1番目と2番目の製品であることに由来する。(写真撮影:インゲボルク・クラヒト=ラムス)

1967

オットー・ツァップがヴィツゥ+ツァップ社を去る。

ラムスが、ブラウン社とヴィツゥ社の両方のフォトグラファーとして働いていたインゲボルグ・クラヒト=ラムス(1931年~2022年)と結婚。二人は彼女が91歳で亡くなるまで50年以上連れ添った。

1968

ディーター・ラムスがブラウン社の製品デザイン部門の役員に就任。

優れた家具と軽工業のデザインを評して、ラムスがロンドンの英国王立芸術協会から名誉ロイヤル・インダストリアル・デザイナーの称号を授けられる。

1969

ヴィツゥ+ツァップ(Vitsoe+Zapf)社が、ヴィース・ヴィツゥ社(Wiese Vitsœ GmbH & Co)になる。ニールス・ヴィツゥは、欧州でのアピール力を高められるよう、自分の名前に含まれていたø、および会社名に含まれていたoeを「œ」に変更。

ヴィツゥの商品名がRZ xxの方式から、606 ユニバーサル・シェルビング・システム、620 チェア・プログラム、などのように、発売年、発売順にゼロからカウントされる方式に変更された。

エイドリアン・フルティガーのUniversフォントを元にしたヴィツゥのロゴとコーポレートIDが、グラフィックデザイナーのヴォルフガング・シュミットによって開発される。

1970

ヴィツゥ社初のショールームが、ドイツ、フランクフルトのカイザーホーフ通りにオープンする。同社はこの頃から商品開発を加速させ、ドイツ、スイス、オランダ、デンマークに販売網を構築していく段階に入る。

620 チェア・プログラム(RZ 62)が、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館の永久収蔵品に加えられる。

1973

620 チェア・プログラムは、盗作問題が裁判で争われた結果、ドイツ連邦裁判所により、「この椅子のデザインは、非常に美的価値の高い、パーソナルでオリジナルな創作物である」として、芸術的著作権保護が認められた。

1975(-85)

自分を取り巻く世界の現状を憂慮したディーター・ラムスは、『グッド・デザインの10の原則』を定義。

1976

ディーター・ラムスはニューヨークで 『ヴィツゥのデザイン(Design by Vitsœ)』と題する先見的なスピーチを行い、責任あるデザインへのコミットメントを表明した。ニールス・ヴィツゥはこれがニューヨークタイムズ紙に取り上げられたことを誇りに思い、以後ヴィツゥのニュースレターには自筆のサインを用いるようになった。

1984

ディーター・ラムスとニールス・ヴィツゥは、イタリアの家具メーカー、デ・パドヴァ(De Padova)社に606 ユニバーサル・シェルビング・システムのアルミニウム製バージョンを製造するライセンスを供与。

1985

マーク・アダムスが、ロンドンのインテリアショップ「Reflex」で行なわれた英国発表会でヴィツゥ社の606 ユニバーサル・シェルビング・システムに目を留める。

1986

マーク・アダムスが、ニールス・ヴィツゥと、ディーター・ラムス夫妻にフランクフルトで面会。

同年末にアダムスがヴィツゥ英国法人(Vitsœ UK Ltd)を設立。ロンドンのバトラーズワーフ近くの、当時まだ建設中であったデザイン・ミュージアム近くにショールームを開設。

1987

ヴィツゥ英国法人が、英国で、606 ユニバーサル・シェルビング・システム用の棚の製造を開始。ショールームがロンドンのタイヤーズゲートに移転。

1989

ヴィツゥ社の英国ショールームが、ロンドン、バーモンジー通りの「タイム・アンド・タレンツ・セトルメント」に移転。

1993

ニールス・ヴィツゥの引退に伴い、マーク・アダムスがヴィース・ヴィツゥ社の社長に迎え入れられる。

1995

ヴィツゥ英国法人(Vitsœ UK Ltd)がヴィツゥ社(Vitsœ Ltd)に社名変更。本社およびラムス家具の製造がドイツから英国に移される。製造拠点はロンドンのイズリントンに移転され、ヴィース・ヴィツゥ社は閉鎖された。

ニールス・ヴィツゥがデンマークのコペンハーゲンで死去(享年82歳)。

ディーター・ラムスはドイツの家具メーカー、sdr+社にライセンスを供与し、ラムス家具の製造が開始される。

1997

ラムスがブラウン社を退職。

1998

ヴィツゥ社は、ニューヨークの小売店Mossを介して米国での販売を拡大。

1999

複数のサプライヤー間で輸送するためのフロアプレート・スチレッジや、顧客に配送するための再利用可能なキャビネット・バッグを導入 – 梱包廃棄物をゼロに。

2003

シェルビング・システムのオンライン・プランニングサービスを全世界に提供できるように、特注のソフトウェア・プランニング・ツールを導入。

2004

ヴィツゥ社のロンドン1号店がウィグモア通りにオープン。

606 ユニバーサル・シェルビング・システムが、ニューヨーク近代美術館の永久収蔵品に加えられた。

2005

ヴィツゥ社の製造拠点がロンドンのカムデンに移転。

2008

ヴィツゥ社の取り組みが、ケンブリッジ大学製造研究所とクランフィールド大学による学術論文、「持続可能な産業システムに向けて(Towards a sustainable industrial system)」に引用される。

2008(-11)

『Less & More: The Design Ethos of Dieter Rams(和名:純粋なる形象 ディーター・ラムスの時代 機能主義デザイン再考)』の展示が、日本の東京と大阪、韓国のソウル、ロンドンのデザインミュージアム、サンフランシスコのSFMOMAで行なわれる。

2009

ヴィツゥ社の米国1号店が、ニューヨークのボンドストリートにオープン。

ヴィツゥ社のロンドン店が デューク通りに移転。

2011

ヴィツゥ社がケンブリッジ大学の産業サステナビリティセンターの創設メンバーに招かれる。

2012

ディーター・ラムスが、ドイツのsdr+社とのライセンス契約を解消。sdr+社による、ラムスがデザインした家具の製造が終了する。

2013

全世界で、ディーター・ラムスのオリジナル家具デザインの全コレクションの独占的ライセンスを所有しているのは、 ヴィツゥ社のみになる。

ヴィツゥ社は社外の販売会社を介した販売を停止。今では世界中のお客様に対して直接販売を行っている。

620 チェア・プログラムと621 テーブルが、ヴィツゥ社とディーター・ラムスによって再設計され再発売される。

ヴィツゥ社の店舗が、ドイツ、ミュンヘンのテュルケン通りにオープン。

今後の事業拡大資金調達のため、ヴィツゥ社はミニボンドの引き受けを顧客に呼びかけた。

2014

ヴィツゥ社は、新しい製造拠点として英国のロイヤル・レミントン・スパに土地を購入。

2016

英国のロイヤル・レミントン・スパでヴィツゥ社の新工場建設が始まる。

ディーター・ラムスは、606 ユニバーサル・シェルビング・システムのアルミニウム製バージョンに関する、イタリアのデ・パドヴァ社とのライセンス契約を解消。

2017

ヴィツゥ社の店舗が、米国、ロサンゼルスの西3番通りにオープン。

ヴィツゥ社の製造拠点がロンドンからロイヤル・レミントン・スパに移る。

2018

ブライアン・イーノがサウンドトラックを手掛けた、アメリカの映画監督ゲイリー・ハストウィットによる長編ドキュメンタリー映画『Rams』 が全世界で公開される。

ヴィツゥ社のニューヨーク店が、ニューヨークの西8番通りに移転

606 ユニバーサル・シェルビング・システムに対して重要な判決が下され、メタルシェルフのデザインは「不要なものを全て削ぎ落とした、明快かつ静か」であり、「騒ぎ立てるようなデザイン要素は無い」とされ、「ひとつのピースとしてデザインされた棚は、薄い一枚の金属板のみで構成され、流れるような軽快な印象を与える」と述べられました。この判決は「叙情的な判決」として評価されました。

2019

ヴィツゥ社のロンドン店が、ロンドン、メリルボーンレーンに移転。ディーター・ラムスの存在がかなりの注目を集める。

2021

ヴィツゥ社の店舗が、英国ロイヤル・レミントン・スパのリージェント通りにオープン。

デ・パドヴァ社が606 ユニバーサル・シェルビング・システムのアルミニウム製バージョンの製造を終了。

2022

研究書専門出版社のフロンティアーズ(Frontiers)社による「充足に基づく循環経済:150社の分析(The Sufficiency-Based Circular Economy – an analysis of 150 Companies)」にヴィツゥ社が掲載される。

ラムスに50年以上連れ添った妻、インゲボルグ・クラヒト=ラムスが死去(享年91歳)。

2023

イタリア最高裁判所が、606 ユニバーサル・シェルビング・システムを芸術品として認定。著作権はラムスとヴィツゥ社に帰属する。

今日

国際部の人員を増やし、ヴィツゥ社は英国の工場から90ヵ国以上に直接商品を届けている。より多くの人々に、長持ちする家具を少しだけ購入するよう促す同社の試みはこれからも続いていく。