ディーター・ラムス
ディーター・ラムスとヴィツゥ
ディーター・ラムスはつねに、自身の家具を進化し続けるプロジェクトとして、そしてヴィツゥを自らのデザイン哲学が生き続ける場所として考えてきました。
「1957年、私は収納システムの開発を始めました。それが1959年に設立されたヴィツゥという会社の基盤となったのです。つまり、私のデザインの思想は、この会社に根ざしているといえます。」
ラムスの生い立ち
1932年、ディーター・ラムスはドイツのヴィースバーデンに生まれました。大工だった祖父の存在に強く影響を受け、木工で賞を受けたことがきっかけとなり、ヴィースバーデン工芸美術学校でインテリアデザインを学んだ後、1950年代初頭の戦後復興期に建築家としての訓練を積みました。
洞察力に優れた友人の勧めで、1955年にドイツの家電メーカー、ブラウン社への就職を志願しました。父親の死後に会社を引き継いだアーウィンとアーサー・ブラウンに採用され、革新的な電気製品を市場に投入しようとしていた同社の社内インテリアの刷新を任されました。
入社1年目、23歳のディーター・ラムスは社内の新しいインテリア計画のスケッチを提案しました。大胆でモダンなそのプランの背面の壁に、レールを使ったウォールマウント式収納システムの最初のアイデアが描かれていました。1957年、ディーター・ラムスはアーウィン・ブラウンに、別の会社のために家具をデザインしてもよいかと尋ねました。ブラウンの即答は「いいよ。我々のラジオの販路拡大にもなる」というものでした。2年後、ヴィツォー+ツァップ社が設立されます。1960年、ウォールマウント式の606ユニバーサル・シェルビング・システムが発売されました。
ブラウン社でラムスはすぐにプロダクトデザインに携わるようになり、1956年にはフォノスーパー SK 4 に透明なアクリル樹脂の蓋を加えたことで知られるようになりました。当時、これほど型破りなデザインはなく、「白雪姫の棺」というニックネームがつけられました。1961年にはブラウン社のデザイン部門長に任命され、34年間その職を務めました。
1950年代より、ヴィツゥのためにデザイン
ラムスがブラウン社での仕事を通じて培ったデザイン言語は、ヴィツゥの家具に直接受け継がれています。606シェルビング・システムは、ブラウン社のコンパクト・ハイファイ「オーディオ 1」のサイズに合わせて設計されており、ふたつが調和のとれた一体感を持って並べられるよう考慮されていました。ブラウン社とヴィツゥのための仕事は、最初から同じ思想の二つの表現でした。
ディーター・ラムスの二足のわらじは、1997年のブラウン社退職まで続きました。最高のデザインは社内のデザインチームからしか生まれないという信念を持ち続け、亡くなるまでヴィツゥの動向に深く関わり、英国人ディレクターのマーク・アダムスと40年以上にわたって共に仕事をしました。
この関係を守ることには、意味がありました。2018年、ドイツの裁判所は606の金属製棚板を「極めてシンプルで明快、静謐」であり、「流れるような軽やかさの印象を与える」と評しました。この判決は法曹界で「叙情的判決」として知られるようになりました。2023年にはイタリア最高裁判所(破毀院)が、606ユニバーサル・シェルビング・システムをラムスとヴィツゥのために著作権で保護された芸術作品として認定しました。翌年、すべてのヴィツゥ製金属棚に真正性を証明するエンボス加工のホールマークが追加されました。620チェア・プログラムは1965年から正式な著作権保護を受けており、ドイツ政府から卓越した美的価値を持つ作品として認められています。
ディーター・ラムスの哲学
1976年、ラムスはニューヨークで「Design by Vitsœ」と題した率直で先見性に富んだスピーチを行いました。責任あるデザインへの信念を力強く示したこのスピーチで、「天然資源の不足はますます深刻になり、回復不能となっている」と語り、デザイナーをはじめすべての人々が、世界に送り出すものに対してより大きな責任を持つよう訴えました。国連がまさにこれらの懸念に応えるためにブルントラント委員会を設立したのは、その7年後のことでした。
Design by Vitsœ
「私たちが、深く考えることもなく、さまざまなガラクタを自らの家に、住む都市に、そして国中に満ちあふれさせている今日の状況が、将来の世代に絶望的な思いを抱かせるのではないかと懸念するのです。」
それ以来ラムスは、「浪費の時代の終わり」を訴え、限りある資源しかないこの地球で、ただ捨て続けるだけでどうやって生きていくのかを問い続けた、率直な声でした。
同時に、ラムスは周囲の世界の状況にますます懸念を抱くようになっていました。「形、色、騒音が入り乱れた、不可解な混沌。」
自身もその世界の大きな担い手であることを自覚したラムスは、ひとつの重大な問いを自分に問いかけました。自分のデザインは、良いデザインなのか?
その答えは、グッドデザインのための10の原則に表れています。さらに端的に、彼はその後「より少なく、しかしより良く」という言葉を生み出しました。
10の原則評価と遺産
ディーター・ラムスは今日、20世紀で最も影響力のある工業デザイナーのひとりとして認められています。
606ユニバーサル・シェルビング・システムはニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久コレクションに収蔵されています。620チェア・プログラムはロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館の永久コレクションに収蔵されています。2008年から2011年にかけて大阪、東京、ソウル、ロンドン、サンフランシスコを巡回した「Less and More」展をはじめ、その作品は世界各地で広く展示されてきました。
ブラウン社のための多くのデザインが世界各地の美術館に収蔵されている一方、ラムスは自身のデザイン哲学の継続をヴィツゥに見ていました。その家具は現在90カ国以上で販売されており、ヴィツゥがこれらのデザインの世界唯一のライセンシーであり続けています。
2018年、アメリカ人映画監督ゲイリー・ハストウィットがブライアン・イーノのサウンドトラックとともに、ラムスの功績とデザイン哲学を探るドキュメンタリー映画「Rams」を公開しました。この作品は、彼の仕事を世界中の新世代のデザイン愛好家に伝えました。
ラムスの影響を挙げたデザイナーには、アップルの元デザイナーであるジョニー・アイヴ、深澤直人、ジャスパー・モリソンらがいます。彼らはそれぞれ、ラムスの思想が自分たちのデザインをどのように形作ったかを率直に語っています。
1992年、写真家の妻インゲボルグ・ラムスとともにラムス財団を設立しました。デザインは人々のために働き、資源を大切にし、ただの流行に流されることなく抵抗すべきである——生涯を通じて伝え続けてきたその思想を広めるためでした。
1971年、建築家ルドルフ・クラマーとともにクロンベルクに自宅を設計し、ヴィツゥの製品で全室を整えながら、亡くなるまでそこで暮らしました。この家はヘッセン州記念物保存局によって文化財に指定されており、ラムス財団を通じて将来の世代のために保護されています——建物そのものが、彼の理念の表明です。
グッド・デザインの家